東京地方裁判所 平成9年(ワ)21854号 判決 1998年5月08日
原告
甲野太郎
右訴訟代理人弁護士
吉永満夫
被告
乙山花子
主文
一 原告の請求を棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
一 原告は「被告は原告に対し、金一〇〇万円及びこれに対する平成九年一二月二〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする」との判決及び仮執行宣言を求め、被告は主文同旨の判決を求めた。
二 事案の概要等
1 本件は、原告が、後記の別件訴訟における被告の供述等(後記2の(四)と(五)の部分)によって名誉を毀損されたので、これによって受けた精神的苦痛を慰謝するためには金一〇〇万円の損害賠償が必要であるとして、右金一〇〇万円及びこれに対する訴状送達の日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を請求したものである。
2 基本的な事実(当事者間に争いがない)
(一) Aは、妻であったBとの間に、長女C、長男原告をもうけたが、Bは昭和六一年九月三〇日に死亡したので、Aは、昭和六二年一二月一六日被告と婚姻し、その後、平成五年一月二五日に死亡した。
(二) Aは、平成四年四月二九日、自宅である別紙物件目録記載の土地建物その他の全財産を被告に遺贈する旨の自筆証書遺言書(以下「本件遺言」という)を作成してA死亡後の平成五年九月一日、被告は、右遺言書の検認を受けた。そして、その後、右遺言書のコピーとともに、差出人不明の手紙(甲第四号証の二ないし四。以下「本件手紙」という)を原告及びC並びにAの実兄D及びAの実妹Eに送付したが、右D及びEはAの相続人ではない。
(三) 原告及びCは、本件遺言の内容が原告らの遺留分を侵害しているとして、平成六年一二月二一日、静岡地方裁判所下田支部に被告を相手方として遺留分滅殺請求訴訟を提起し、これは同支部平成六年(ワ)第七〇号事件として係属した(以下、この訴訟を「別件訴訟」という)。
(四) 別件訴訟の平成八年二月二一日の期日において、被告は本人尋問を受けて供述し、その中で、本件手紙に関し、次のとおり述べた(以下「別件訴訟の供述」という)。
問 あなたはこの手紙を原告甲野太郎が書いたと思っていますか。
答 最初読んだときは文字が女文字だと思いましたけど、内容は太郎らしいと思いました……。
問 あなたは太郎が女性に書かせたと思っているのですか。
答 多分そうではないかと思います。
(五) また、別件訴訟において、右平成八年二月二一日の口頭弁論期日において提出された同日付の被告の陳述書(甲第六号証)には「(平成六年)六月二日の夕方電話のベルが鳴りましたが何の応答も有りません。無言電話でした。私は亡夫の誕生日だったのでなんとなく感じで太郎さんだなと思いました」と記載している(以下「別件陳述書の記載」という)。
三 原告は、右別件訴訟の供述及び別件陳述書の記載が原告の名誉を毀損するものであると主張するので、以下この点について判断する。
1 前示争いのない事実並びに甲五の一、二、甲六、甲八、原告及び被告の各本人尋問の結果によると、以下の事実が認定できる。
(一) B死亡後、被告がAと同居するようになり、AとBの間の子である原告ら姉弟と被告との間には、感情的なもつれが発生した。そのため、原告は、被告と同居するようになったAに対しても強い不満を抱き、昭和六二年一月一五日ころからは互いに会ったこともない関係になっていて、子供の方からAを絶縁したと述べる(甲八の記載)状況であり、平成四年一二月九日、Aが病気で入院した後も、二回病院に見舞いに行っただけで、病院においても被告からの進言を受けてA本人とは面会もしなかった。このような状況のままでAは死亡したが、その残した遺言が前示のとおり全財産を被告に遺贈する趣旨であったことから、原告ら姉弟と被告との間に遺産を巡る紛争が発生し、平成六年一二月二一日、原告らは別件訴訟の遺留分滅殺請求訴訟を提起するに至ったが、同訴訟においては遺産の額を巡って激しく争われ、ことにAの財産から出費した項目について被告に対し詳細に尋問がされるなどしていた。このような紛争の激しさに応じて、同訴訟においては時として互いに感情的な言葉を投げつけるようなことも見られるようになり、この一部として、例えば、本件訴訟で原告が問題としている被告の別件訴訟の供述や別件陳述書の記載があるほか、原告側からも、別件陳述書に反論するために平成七年一二月二一日付で作成された原告の陳述書の中で、被告が嘘をついたとか、非常識な人間であるとか、遺棄罪にも相当する行為をしたとか、陳述書に虚偽を記載しているなどと明記しているほか、本件手紙は被告が作成したものであると強く示唆する記載をするなどしている。
(二) ところで、本訴において問題とされている別件訴訟の供述は、別件訴訟の平成八年二月二一日の期日において施行された被告本人尋問の中でされたものであるが、前示のとおり、別件訴訟は遺産の額を巡って争われていた遺留分滅殺請求訴訟であるから、本件手紙の作成者が何者であるかは必ずしも主要な争点ではなく、これを解明することが別件訴訟の解決に役立つものであったかどうかは疑問がないわけではない。それにもかかわらず別件訴訟の右期日において別件訴訟の供述がされたのは、被告から本件手紙の送付を受けた原告において、本件手紙を書いたのは原告であると被告が誤解しているのではないかと考えていたので、原告訴訟代理人弁護士(別件訴訟においても原告訴訟代理人である)に対して、その点の確認を被告にして欲しいと依頼したため、原告訴訟代理人においてあえて質問したことによる。しかしながら、原告自身は、同尋問期日には仕事の都合で出頭することができず、後日原告訴訟代理人から右別件訴訟の供述の記載されている調書の交付を受けて右供述がされたことの確認をした。
(三) 別件陳述書は、前示平成八年二月二一日の口頭弁論期日において提出されたものであるが、その内容は、被告の経歴やAと結婚するに至った状況、Aと原告との確執の状況、Aとの結婚生活やAの病気入院中の状況、A死亡後の状況等が約一五頁にわたって記載されているものであり、そのうち、問題とされる記載は、同陳述書第一四頁の中程にわずか三行にわたって記載された部分にすぎない。
2 以上の認定に基づいて、別件訴訟の供述及び別件陳述書の記載が原告の名誉を毀損するものか否かについて考えてみる。
(一) 当事者主義、弁論主義を基本的理念とする我が国の民事訴訟法の下では、当事者が、その信ずるところにしたがって自由に忌憚のない主張、立証(弁論活動)を尽くしてこそ、訴訟が活性化し、事案の真相を解明し私的紛争の適性迅速な解決をはかるという民事訴訟の目的が達し得るのであって、このように対立当事者に攻撃防御の機会を十全かつ対等に与えることは、それ自体が公正な裁判のための基本原則(双方審理主義)として古くから採用されてきたところであり、現行民事訴訟制度においても口頭弁論主義を採用して、これを徹底した形で保証しているのであるから、民事訴訟における主張立証行為(弁論活動)は、一般の原論活動以上に強く保証されなければならないのである。そこで、一方当事者の主張立証行為が、相手方の名誉を毀損するものであり、その後の審理において右主張事実が真実と認めることができなかった場合でも、これをもって直ちに名誉毀損として違法なものであると評価することは相当ではなく、訴訟上の主張は、これが一見妥当性を欠くように見えても、その当事者において、特に故意に、しかももっぱら相手方を誹謗中傷する目的の下に、ことさら粗暴な言辞を用いて主張立証行為を行なったような特段の事情がない限りは、原則として違法性は認められないと解するのが相当である。このような観点から判断すると、別件訴訟の供述や別件陳述書の記載は、その内容自体から、右違法性があると認められる要件を充たすに至っていないものであるといわざるを得ないのである。
(二) さらに、別件訴訟の供述がされた状況について考えてみると、被告は、別件訴訟の被告本人尋問において宣誓しているのであるから(甲五の一)、供述を拒むことはできず(当時の民訴法三三八条)、虚偽の陳述をした場合には一〇万円以下の過料に処せられる(同法三三九条)という状況にあったところ、そのような被告に対して、前示のとおり、原告訴訟代理人からの発問があったのであるから、被告としては自己の信ずるところを答えざるを得ない状況の下で別件訴訟の供述をしたものであって、なおさら前示の違法性を満たすための要件があったと考えることはできないのである。しかも、別件訴訟のように、特に社会の注目を浴びるとは考えられない通常の民事訴訟においては、公開の法廷といえども当事者又はこれに準ずる立場の人以外の傍聴人が傍聴していることは珍しいのが現実であり、本件においては、前示のとおり、原告自身が尋問期日には出頭していなかったのであるから、そのような法廷での言動は、普通これが不特定又は多数に伝播するとは考えがたいといわざるを得ないのであって、この点からも、被告の別件訴訟の供述によって原告の社会的評価が低下させられ、名誉が毀損されたというには疑問がある。
(三) さらに、別件陳述書の記載については、同陳述書が、前示のとおり、被告の経歴やAと結婚するに至った状況、Aと原告との確執の状況、Aとの結婚生活やAの病気入院中の状況、A死亡後の状況等が約一五頁にわたって記載されたものであり、問題とされる記載はその中の第一四頁の中程にわずか三行にわたって記載された部分にすぎないものであって、この点で、すでに前示訴訟上の言動が違法となる要件を満たしているものとは考えがたいのみならず、同陳述書の内容も、法廷での供述以上に、当事者及びその訴訟代理人以外に伝播する蓋然性は乏しいといわざるを得ないのであるから、同陳述書の記載によって原告の社会的評価が低下し、名誉が毀損されたということはできないものと考えざるを得ない。
(四) よって、いずれの観点からも、原告が問題とする被告の別件訴訟の供述及び別件陳述書の記載は、原告の名誉を毀損するものということはできないのである。
四 以上のとおりであるから、本訴請求は理由がないのでこれを棄却することとし、訴訟費用の負担について民訴法六一条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官佃浩一)
別紙物件目録<省略>